お詫びと訂正

『京ごよみ手帳2020』で、以下の間違いがありましたのでお詫びして訂正いたします。(2019年12月20日)

該当箇所 内容
108頁 クリスマス・イルミネーション
「京都府立植物園」
12月中旬~12月25日 開催なし
『徳川家康・秀忠の甲冑と刀剣』で、誤った記述や不適切な表現がありました。
関係各位にお詫び申し上げますとともに、以下の通り訂正いたします。
該当箇所 甲冑・刀剣の名称 表題
口絵6頁、
本文15頁
左から3行目
白檀塗南蛮胴具足 月輪前立南蛮兜付 (個人蔵・徳川美術館寄託) (個人蔵)
本文17頁
左から7行目
寄託先が豊田市郷土資料館から徳川美術館に変わってからは、展示では排除されている。 左の記述は事実関係が確認できず、また開示すべき情報でないため全文を削除。
本文92頁
左から4行目
太刀 無銘 伝三池太光世(ソハヤノツルキ) 今川家の一族・御宿越前守政友 今川家の家臣・御宿越前守政友
本文92頁
左から3行目
結城秀康に一万石で召し抱えられ 結城秀康に召し抱えられ
本文112頁
5行目
刀 号「分部志津」無銘 兼氏 (個人蔵・徳川美術館寄託) (個人蔵)
本文116頁
3行目
太刀 号「兵庫守家」 銘「備前国長船住守家」 大坂落城後、研ぎ直しをせずそのままの姿で伝えられたもの 織田信長の家臣、丸毛兵庫頭長照の所持による号
本文120頁
左から4行目
短刀 号「包丁藤四郎」 銘「吉光」 重文 重美
本文120頁
左から1行目
足利家に伝来 俗説に足利将軍家伝来とあるが文献では確認できない。
本文125頁
3行目
太刀 大左文字 豊臣秀吉-豊臣秀次-豊臣秀頼と伝わったもの 徳川家康から豊臣秀頼に贈られ、大坂の陣の後徳川家に戻ったもの
本文126頁
左から2行目
刀 号「鳥居正宗」 銘「正宗」 鳥居元忠(中略)かその一族の者が持っていて、家康に献上された正宗の刀ということであろう。 銘の上に鳥居の形が彫られていることによる号。ただし磨上げであり、銘も後代に切られたものと考えられる
本文127頁
5行目
刀 号「吉見左文字」 銘「左文字吉見正頼研上之 永禄九年八月吉日」 その関係から毛利輝元の所有となって家康に献上されている その後、徳川家に伝わったがその経緯はよくわからない。
本文127頁
左から3行目
刀 銘「村正」 「潰物になる筈。疵物にて用に相立ちがたき部類に入置く事」 「潰物になる筈」「疵物にて御用に相立ちがたく候」
本文130頁
3行目
脇指 号「鯰尾藤四郎」 銘「吉光」 (前略)-土方勝久(後略)と伝来した。 「-土方勝久」を削除
本文131頁
3行目
三家老を、土方勝久に命じてこの脇指を与えて斬らせた 家老の岡田重孝を本刀で刺殺したともいわれる
本文131頁
左から7行目
短刀 号「海老名小鍛冶」 銘「宗近」 三好長慶-足利義輝-織田信長-織田秀信(後略)と伝来した。 足利将軍家-豊臣秀吉-徳川家康と伝来した。
本文133頁
左から1行目
短刀 号「大坂長銘正宗」 銘「相州住正宗 嘉暦三年八月日」 細川幽斎-豊臣秀吉(後略)と伝わった 『享保名物帳』には「(細川)幽斎老所持秀吉公へ上る」とある
本文135頁
左から3行目
短刀 無銘 則重 子の至鎮と徳川家康養女の縁組の時に献上された。 のち徳川家康に献上された
本文153頁
左から4行目
太刀 銘「久国(花押)」 国宝表記なし 国宝
(個人蔵) (文化庁蔵)
本文217頁
5行目
あとがき 刀剣類はあまりにも多く、大きな樽に油を湛えて大量の刀を吊るして保管している。 刀剣類は非常に多いが、厳重に管理されており、これまで研ぎに出されたものはない。

『京ごよみ手帳2019』で、以下の間違いがありました。関係者各位にお詫び申し上げるとともに訂正いたします。(2018年11月5日)

該当箇所 内容
39頁 「楊枝のお加持と大的大会」
(三十三間堂)の日程
(1月)14日 (1月)13日*
225頁 京都御所 ②休館日 土日祝日・年末年始 月曜(祝日の場合は翌日)
・年末年始・臨時休あり

*「楊枝のお加持と大的大会」(三十三間堂)は、ウィークリーカレンダー(111頁)では正しい日程になっています。

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